LDK日記

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再会

風邪気味のありんこです

昨日久しぶりに、母校金光大阪高校の1つ下の後輩の愛敬(元東北楽天ゴールデンイーグルス)から連絡があり、茨木市の極楽湯に行こうと連絡がありました
風邪気味だったので躊躇しましたが、仙台に住んでいた後輩が帰ってきたので無理して行くことにしました。

ありんこ(一応3番バッターでした)と同期の4番バッターと愛敬と三人で話は尽きることなく盛り上がりました

愛敬は、プロ野球選手引退後、楽天のジュニアスクールのコーチを仙台でしていたのですが、今年から関西のスカウトに配置換えになったそうです。

愛敬

高校野球が大好きなありんこにとって羨ましい仕事ですが、実際に仕事となると大変なんでしょうね
大阪に帰ってきたので、これから遊びたいですね。



【ウィキペディア】より

愛敬 尚史(あいきょう ひさし、1976年12月4日 - )は、大阪府高槻市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアコーチ。


経歴

プロ入り前

小学4年から野球を始める。中学時代はエースとして活躍し大阪府でベスト8に入る。金光第一高校(現・金光大阪高校)時代は無名選手で、チームとしても府大会4回戦が最高の記録。このころサイドスローに転向する。

帝京大学時代は里崎智也(千葉ロッテマリーンズ)とバッテリーを組む。1年生春季のリーグで6勝をあげ最優秀投手に選ばれる。1997年秋季リーグで首都大学リーグ優勝を経験。大学4年時には日本代表として世界選手権に出場。首都大学リーグ通算53試合登板、27勝19敗、防御率2.45。

1999年、松下電器に入社。同期入社には久保康友、大久保勝信がいる。同年の都市対抗野球大会で若獅子賞を受賞。

2000年、日本選手権でMVPに輝く。

プロ入り後

2001年、ドラフト2位で大阪近鉄バファローズに入団。1年目から30試合に登板して防御率1.67の好成績を残し、チームの優勝に大きく貢献し、9月24日の西武ライオンズ戦では、1球投げて勝利投手となっている。日本シリーズ第1戦にも中継ぎ登板を果たした。

梨田昌孝監督に右のワンポイントリリーフとして重宝され、2003年まで一軍戦力として活躍した。近鉄時代はショートリリーフ専門で、登板試合数がイニング数より多かったほどである。

2005年、球団合併に伴う選手分配ドラフトで楽天へ移籍。しかし左打者に極端に打ち込まれ、防御率7点台と戦力にならなかった。

2006年はロングリリーフで意外な成功を収め、先発に転向。一時は後述のように「不敗神話」と度々メディアで取り上げられるも、初黒星を喫してからは4連敗と低迷し、再び中継ぎに降格。8月頃には二軍落ちし、再昇格はならなかった。この年5月11日の横浜ベイスターズ戦で先発し、石井琢朗に通算2000本目の安打を打たれている。

2007年は一軍登板なし。二軍で15試合に登板し、防御率6.10。自身「最悪の1年です」と振り返ったシーズンとなった。2008年は2年連続で一軍登板なしに終わった。

2009年も一軍登板がなく、10月2日に戦力外通告を受ける。2010年から日笠雅人に代わり楽天のジュニアコーチを務める。

プレースタイル・人物

横手投げから140km/h前後の速球やスライダー、カーブ、シンカー、シュートと多彩な変化球を投げ込む。かつては左打者に極端に弱かったが、2006年はむしろ右打者よりも抑えた。

練習に熱心に取り組む姿勢が首脳陣から評価され、2007年の開幕前キャンプでは黄金ルーキーと評された田中将大の教育係に青山浩二と共に任命された。

野村克也監督から「愛嬌(愛敬)あって、運も持っている。素質はあるのだから後は度胸をつけろ」と言われたことがあったと言う。

不敗神話

2001年3月27日のプロ入り初登板から2006年5月11日まで、107試合に登板しながら1度も敗戦投手にならなかった。そのうち、2006年4月21日の104試合目まではすべて中継ぎでの登板。同年4月27日に先発として初登板し、勝利。続く5月4日、5月11日も先発登板し、勝利をあげる。

当時、楽天の勝率は2割台と圧倒的に低く、このチーム状態で先発3連勝をあげたことは快挙と言える。特に、5月11日の横浜戦では、相手にリードを許した状態で代打を出されながら、チームはそのイニングに一挙6点を取って逆転し、愛敬は勝ち投手の権利を得ている。

しかし、108戦目となる5月17日のヤクルト戦でついにプロ入り初黒星を喫した。「プロ入り107試合無敗」は当時のプロ野球歴代2位の記録であり、パ・リーグ最多記録である。
また、初黒星を喫するまでに8勝(2001年に2勝、2002年に1勝、2003年に2勝、そして2006年の3勝)をあげており、プロ初登板後、無傷の8連勝ということになる。これは稲尾和久(西鉄)に並ぶ数字である。
初黒星を喫した頃のインタビューでは、「(不敗神話が途切れたことについて)それはどうでもいいこと」と述べ、2006年の契約更改時のインタビューでは、負けがついてむしろほっとした、といったニュアンスのコメントを残している。



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